“昔から日本にあったアジサイの花の色は青色である。だがアジサイの花の色は、土の酸性やアルカリ性に反応して変化する。酸性が強くなると青色が鮮明となり濃くなる。反対に石灰を多く施用して、アルカリ性になるとピンク色に変化する。
昔の農家は、畑に一株のアジサイを植え、花の色を見て石灰の施用量を決め、その技術は親から子へと伝えられていた。昭和二十年代までは、それが行われていた。農業近代化の名のもとに基盤整備が行なわれ、畑の区画を大きくすることで抜かれて捨てられたり、機械化には邪魔になるとのことで消えていった。”
— 別冊現代農業2011年4月号『土をみる 生育をみる』p.61
8:19 am • 25 January 2012
“印刷やWebでは、最終的にはCMYKやRGBの数値で色を決めることになります。この時、CMYKではインク、RGBではモニタの光で色が表現されます。CMYKの数値の和、RGBの数値の和は、それぞれインクの量、光の量を示しています。完全とはいえませんが、インクの量、光の量の等しい色同士は、同じような雰囲気をもっています。微妙な調節は必要ですが、迷った時の一つの目安として覚えておくと便利です。”
— 佐藤好彦『デザインの教室』p.83
7:18 am • 22 January 2012 • 2 notes
“明治末期の巡査教習所では、「昆虫学」が科目の1つとして含まれていることがあった。
(中略)
警察官たちは名和に連れられて昆虫採集をおこない、どの虫が「害虫」で、どの虫が「益虫」なのか学んでいる。こうした講習を受けた警官たちが、各地の農村に戻り、農民たちに<害虫>の駆除を強制していくことになるのである。”
— 瀬戸口明久『害虫の誕生ー虫から見た日本史』p.85
1:50 am • 22 January 2012
“日本の辞典が「害虫」という項目を載せはじめるのは、私が調べた限りでは、20世紀に入ってからのことである。”
— 瀬戸口明久『害虫の誕生ー虫から見た日本史』p.11
5:25 am • 16 January 2012 • 1 note
“かつてゴキブリは豊かさの象徴だったという説さえある。群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいたという。「コガネムシは金持ちだ」という野口雨情の童謡で歌われているのは、この虫のことなのだ。”
— 瀬戸口明久『害虫の誕生ー虫から見た日本史』p.8
5:23 am • 16 January 2012 • 7 notes
“ゴキブリが現在のように身近な<害虫>となったのは、じつは戦後になってから、ごく最近のことなのである。屋内に出没するゴキブリの存在自体は、すでに江戸時代から知られていた。当時の人達は、食器でも食物でも何でもかじりつくしてしまうこの虫を「御器かぶり」と呼んだ。これが「ゴキブリ」の語源となっている。だがゴキブリが出没する家は限られていたようだ。食物が豊富で冬でも暖かな家でなければ、ゴキブリは定着することができない。そのような家が増えたのは、日本では高度経済成長以降のことなのである。”
— 瀬戸口明久『害虫の誕生ー虫から見た日本史』pp.7-8
5:21 am • 16 January 2012 • 2 notes
“例えて言えば、<音楽だけは並外れて成績がよいが、国語・数学などの主要科目はさっぱりで、どこかひ弱にみえる天才児>コシヒカリはそんなタイプの品種だった。はたして社会に出て、天分を発揮してくれるか。関係者は随分心配したに違いない。”
— 西尾敏彦『農業技術を創った人たち』p.44
8:47 am • 13 January 2012 • 1 note
“加藤の言葉のとおり、庄内地方はもともと品種改良に熱心な土地柄である。最近の主要品種のほとんどが血を引く大品種「亀の尾」は、明治26年(1893)に同じこの地方、東田川郡大和町(現・余目町)の農家阿部亀治によって選抜された。ほかに「豊国」「早生大野」「イ号」なども、庄内地方の農民がつくった品種である。”
— 西尾敏彦『農業技術を創った人たち』p.22
8:18 am • 13 January 2012
“大抵のプロのデザイナーは──コンピューターとともに育った新進メディアデザイナーでさえ──企画やブレインストーミングの大部分を、通常は紙の上で行なっているのだ。”
— ガー・レイノルズ『プレゼンテーションZen』p.60
5:41 am • 9 January 2012 • 11 notes
“プロのデザイナーから学ぶべきことは以下の2点である。(1)制約は敵ではなく、心強い味方である、(2)自らに条件や制約を課すことは、良質で創造的な仕事に欠かせない要素であることが多い。”
— ガー・レイノルズ『プレゼンテーションZen』p.51
5:35 am • 9 January 2012